石原慎太郎氏「参院選で宗教団体に組織票を融通してもらった」記述

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今は亡き石原慎太郎さん。長いこと東京都知事(1999-2012)をされていましたね。この頃は政治に無知な私でしたが、よくマスコミからネガティブな報道をされていた印象が色濃く残ってます。

もはやマスコミなど信用できませんが(^^)。

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組織票について

さて、今回は兵庫県知事選挙2024でマスコミに叩かれまくっていた斎藤元彦氏が再選し、民意が勝った、組織票の候補者を負かした、という驚くべき快挙が起こり、話題になっています。

組織票と言えばこの本だ。

10月初旬に購入した石原氏の著書に、「自身が出馬した際、組織票を融通してもらった経緯」が書かれているのです。こんな感じで組織票が動いている、という実態を知って、へぇ~と思ったので、その部分をご紹介します。

組織票は、既得権益。

最初に言っておきますが、誤解なきよう、この本はめちゃ良い本ですが、今回は該当の部分だけ抜粋しますね。

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法華経を生きる (著 石原慎太郎)

第三章 わが身の周りに起こったことの理

奇しき縁に導かれて

私が政治家になる決心をして最初の選挙に参議院全国区を選びました。衆議院は選挙区を選ぶのが難しく、第一、政治経験のない私には六年間は選挙の無い参議院のほうがその間勉強もできるし経験も積めるだろうと思った。

(略)

当時の私には産経新聞の社主だった水野成男(しげお)氏が親代わりとしていてくれました。

(略)

私の立候補の挨拶と報告に言ったら水野氏が、
「全国区なんて雲をつかむみたいなもんだ、票がいくらあったって足りやしないぞ。よし、俺がお前さんに立候補の祝儀として、そうだな相手の都合もあるから、ま、二十万票作ってやるよ」

簡単に言う。

「いったいどこからの票ですか」
「霊友会だ。あそこの教祖は俺とは義兄弟なんだ。彼女に頼んで票を分けてもらうから君も一緒にこい」

ということで出かけていきました。

前出の「巷の神々」では霊友会を一種のモニターとして日本の近代社会におけるさまざまな新しい宗教の興亡のメカニズムの分析をしてみたが、すでに確固として一教を成している大宗教から市井の隅でごく限られた人々を食い物にしているような怪しげなものまで、数多くのそれらの開祖、教祖、教主たちに面会し実に有益な体験をしたものです。

すでにそんな縁で霊友会の創設者の一人である小谷喜美教主には何度か取材でお目にかかってもいましたが、自称の親父に連れられての再会でした。

そのおりの二人の会話というのが印象的で、今でもよく覚えているが、水野氏がいきなり
「実は私はこいつの親父変わりをしていましてね、それが今度急に参議院の全国区に出るんで、あなたにも一つ助けてもらおうと思ってあらためて連れてきたんですよ。あなたと私は義理の兄妹だから、つまりこいつはあなたの義理の甥っ子だ。だから頼みますよ。会員はたくさんいるんだから、そうね、二十万ほど出してやってくださいよ」

いわれた小谷師もあっけらかんとしたもので、
「あらそう、でもあなたのとこはキリスト教じゃないでしょうね。家の宗旨は何なのよ」
「私の家は禅の方の曹洞宗です」
「ああ、なら同じ仏法じゃない。それじゃ問題ないわよ」

「なら二十万ほど、頼みますよ」水野氏が言ったら、
「そんなこといわず全部この人に上げるよ。その代わりあんた私の弟子になりなさい」
いきなりいわれて、

「は、弟子というと、どんな」
「別に何をしろというものじゃないんだよ。家に御法座はあるのかい、仏壇はあるの」
「それは、仏壇はありますよ。ちゃんと朝には拝んでいますが」
「それならいいよ、これからはちゃんと法華経も上げるんだよ。そのための導師を選んで付けてあげるから」

ということで、私はあまり迷うことなく小谷師の一種の授紀を受けて、いわばじき弟子だから、依頼師の間近でずいぶんとんちんかんで勝手な質問をしたりして、結果としては驚くほど多くのものを学び感得することが出来たものでした。

(略)

私が奇しき縁で関わりを持った霊友会とか、それから派生していった立正佼成会、仏所護念会、孝道教団といった仏教系のいわば復権団体としての大きな教団、あるいは創価学会もまた系統は違っても、どれも釈迦が説かれた仏教をプロの坊さんにまかさずに、自分自身が先祖のため他人のためにあくまで在家で、つまりそれぞれ自分の家で修養し修行していこうという原則にのっとった実践団体です。

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私の意見

選挙って一体・・・

組織票で二十万票融通してもらえるとか、全部あげるわよ、と実際もっと沢山の票を貰える、そのような候補者が大抵当選しています。選挙に行かない人が多いので、既得権益側に好きなようにされてきたというのもありますネ。

このような選挙戦が全国で今もずっと脈々と行われてきて、何度も当選し続けると例え既得権側につきたくなくてもつかなくてはならず、結局腐敗し、欲望が肥大し、カネカネカネの政治家、強欲になっていくのだなぁと思いました(^_-)-☆。(強欲というのは、利権を手放せない現在の政治家たちのことです。)

高い視点でみたら物事に善悪はないのですが、なんでもハイハイと受け入れたらいいのではなく、きちんと考えて、思考はそうゆうために正しく使って、判断し行動していくことが大事と思ってます。

邪魔な思考は「雑念」。

この「法華経を生きる」という本は、石原氏の人生が、どのような因果関係で実際に物事が起こっていったかを十如是に照らし合わせて書いてある書籍で、組織票はともかく、非常に興味深い内容となっています。

全ての人の人生は、因果律で外側の世界が起こり続けます。過去を振り返ってみると、自分の視点からみて良いことも、また良くない事も、全て「自分と周囲の縁起で起こっているんだ」とわかります。

と言うわけで、今回は組織票についてのみ引用させていただきました。ここだけ読むとかなりビミョーなのですが、ほんと、他の内容は「なるほど!」という、いい内容になっています。

ただ、新興宗教を肯定しているところはわたしはあまり好きではないかな。。

どこかの団体に入るのではなく、宗教とは一人一人が自身の内面で行うもの、と考えています。釈迦の原始仏典には、「宗教団体に所属するな」と書いてあるのになぜ団体を作るのかな?

十如是(じゅうにょぜ)とは

『法華経』方便品に説かれる因果律をいう。この十如是は、後に天台宗の教学の究極とまでいわれる「一念三千」を形成する発端とされており、重要な教理である。

おまけ

石原慎太郎の絶筆「死への道程」余命宣告を受けて

信心深く、「私とは何か?」を探求していた石原氏が、最期を迎える前にどのような心境だったか書いてあるのが以下の雑誌です。

石原慎太郎の絶筆「死への道程」余命宣告を受けて『文藝春秋』に最後の投稿 4月号にて一挙掲載
株式会社文藝春秋のプレスリリース(2022年3月9日06時00分)石原慎太郎の絶筆「死への道程」余命宣告を受けて『文藝春秋』に最後の投稿 4月号にて一挙掲載

京都市は図書館に所蔵されているので、「法華経を生きる」を読み終えたら借りる予定。

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