吃音についての世間の認知度はどのくらいでしょうか?
現在はTV、映画、書籍、漫画、youtubeと様々な媒体で知ることができる吃音ですが、昭和時代は身近にいなければ知るすべもないことでした。
吃音とは言葉を発するときに「おッ、おッ、お、お、お、お、お、おはよう…」と連発してしまったりすること。私には歳の近い吃音のいとこがいるのですが、連発型で、結構重度の吃音に該当するんじゃないかなと思っています。
辛いだろうな、ということは想像できますが、社会でどんなに辛い思いをしているかは知るすべもなく。
最近アマゾンプライムで見た映画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」は吃音の主人公のお話。学校で、自分の名前がどもって言えなくて皆に笑われてしまうシーンがショッキングで、あー、いとこもこんな辛い想いをしてきたんだ。。。と。。涙。
吃音 伝えられないもどかしさ
文庫はもう無いようで、電子書籍が544円と安価。
私はいとこの吃音の事が知りたくてこの文庫を(中古で)を見つけて読んでみたのですが、もう涙なしでは読めず。。
吃音は言葉を話し始める頃から始まる事が多いようで、本人は子供だから何が起こっているのかわからないわけです。小学校に行って、みんなに笑われたりして初めて自分がおかしいことに気付いたりします。
この本は自らも吃音である著者が、様々な吃音の方々にインタビューされた実話を書いたもので、当事者がどんな思いで社会で生きているか、どんな治療をしたか(インチキぽいものが多いのだとか)吃音とは現在どこまで科学的に解明されているのか、など多岐に渡り記述されていて読み応えありました。言葉をコントロールしてどもりを消せる人も出てきますが、コントロールしないと吃音が出る。決して治ったわけじゃない、と。
吃音は今もはっきり解明されてないようですが、脳機能に問題があるという米国での研究も紹介されてましたし、本人の努力で治るものではない、ということは強調しておきたい。
言葉に非常に詰まって言いたいことが言えない苦しい、恥ずかしい、そんな思いが炸裂する状態は、本人しかその想いはわからず、周囲も知らないがために無理解になり、学校ではいじられたりバカにされたり、会社では話せないのに「電話に出ろ」と強要されたり、うまく話せないことで上司から強く叱責されたり、まぁひどいもんです・・・
又、昭和の時代ではなく、現代の2000年以降の小学校でもまだまだ理解のある先生が居ないこともあり、なぜちゃんと話せないのか?など、子供本人も何が何だかわかってないのに無謀な投げかけを教師からされたり。国語の本読みや自己紹介が最悪に地獄、とのこと。
かと言えば、親が学校に頻繁に伝えにいき、担任と連絡帳での連携を密にすることで吃音を理解し力になってくれる教師もいて、クラスの子もいじったり吃音を真似したりする虐めっぽいものがなくなったり。
後半には、吃音の男性が看護師になり、仕事を始めた途端言葉の問題で行き詰まり、上司の無理解や皆の前での強すぎる叱責もありで、自殺されてしまった話。
吃音は黙っていれば普通の人に見えるので、一見わからない。しかし実際は自殺を考えるほどの生きづらさがあると書いてありました。
100人に1人が吃音
この数字はかなり多いですね。実際周囲に吃音の人、いますか?私の人生の中で吃音なのはいとこだけです。でも、そのいとこも、周囲には殆ど知られてないような気がしてきました。喋らなければわからないのですから。
吃音は世界中の言語で存在し、世界だと7000万人。ジョーバイデン元米国大統領やマリリンモンローも吃音。田中角栄氏も。
不思議なことに歌では吃音がでないらしく、吃音だけど歌手である人の事も少し書いてありました。
興味のあられる方は是非読んでみてください。
知れば、もし遭遇しても驚くことがなくなりますし、言葉に強く詰まってる人がいても顔色ひとつ変えずに待てますし、早く話せ、何言ってるかわからん!などの失言をしなくて済みます。この方はもしかしたら?と想像するだけで、相手に優しくなれると思うのです。
ルドルフシュタイナーは吃音をどう語っていたのか?
『話しているとき、まだ息が残っているのに息を吸う。これが吃音の原因です。吃音者は、いわば器官化した不安を持っていて、そのために息を吸おうとするのです。吃音が始まったら、吃音者に「歌うか、詩にして」というのです。
これからするお話はみなさんもご存知かもしれません。
ある薬局の薬剤師に、吃音のある男がおりました。5時のお茶のとき「やっ、やっ」と話し始めました。でもか行が出てきません。しかし彼が必死なので、周りの人が「言いたいことを歌って!」と言うと、「薬局が火事だ~。すぐに地下室へ行かねばならない~そこがひどく燃えている~」と歌ったのです。歌うと、吃音は出ないのです。
けれども訓練によって吃音を治そうとするなら、地道に時間をかけなければなりませんし、練習にかける内的なエネルギーも要求されます。しかも器官化した不安ですから、無意識に吃音が出てくることが稽古をしても出てきます。
吃音に関して私の友人で詩人がおりました。彼は吃音者でしたが、彼は自分の詩をリズムに乗せ、長い長い行を、吃音の気配を感じさせることなく朗読していました。けれども普通の会話になると吃音が始まりました。友人には吃音を治す訓練を根気よく続ける粘りがなかったのです。
あるとき、あまり礼儀をわきまえない人にこう聞かれました。
「博士、いつもそんなに吃音があるのですか?」
すると友人はこう答えたのです。
「と、と、と、とても、い、い、いやな人を目、目、目の前にするとき、だ、だ、だけです」』(ドラマコースシュタイナー全集282より、抜粋 小野恵美私訳)
https://worte-c.co.jp/archives/489
シュタイナー全集282、調べたところ和訳本としては販売されてないので、上記サイト様より引用させていただきました。
人は話す時、息を吐きながら話している。。。言われてみてはじめて気づきました。器官化した不安、というのはどうゆうことなのでしょう?「不安」が臓器などの器官として「物質化しているようなイメージ」なのかしら?
最後にお勧め動画
多くの人に吃音を知ってほしい、僕は治らないけどこのままを理解してほしい、100人に1人という吃音の人が、社会でもっと生きやすくなるといいな、という思いで動画に出演されている俊弥さんの動画を貼っておきます。
俊弥さんは吃音を隠していた時は困ることが多かったけれど、最初に吃音であることをきちんと伝えて相手に理解してもらうことで、世界が変わったとおっしゃってました。
圧倒的多数の人は善意の思いで生きているので(特に日本では)、理解してくれる人は多いと思います。理解のある人の中で楽しく生きるのがいいですよね。
ただ傷つきやすい人は、カミングアウトする相手はしっかり選んだほうがいいかもしれないです。
今回はこの本を読んで、吃音の方の苦労や辛さを知ることができて良かったです。いとこがそうだからと言って本人に根掘り葉掘り聞けるわけないのと、もう何十年も人に会う事が辛い状態で、親戚と言えど会う機会は全然なく。。冠婚葬祭でも会えません。でもそれでもいいよね。会えなくても理解したいし、してるから。
本で、初めてこの世界を知ることができました。
出版社さん、文庫を増刷してください。
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