「思考」には、自動思考と能動思考があり、混同されることが多いので、違いを明確に書いてみますね。

自動思考(反芻思考)
勝手に浮かぶ思考のこと。
- コントロールしていないのに湧いてくる
- 過去の経験・記憶・感情のクセから生まれる
- 反射的・瞬間的
- 無意識に繰り返される反応(同じことを何度も考える)
- 感情と強く結びつく(不安・怒り・比較・恐れ・嫉妬・後悔など)
- 「私」という感覚を強化する
例
「あの人に嫌われたかも」
「また失敗するに違いない」
「なんであんなこと言ったんだろう」
考えているというより、起きてしまっている思考です。状況に対して無意識にネガティブな予測や決めつけが瞬間的に湧き上がり、私たちを苦しめたり、争いを起こします。
思考が止まると心がとても穏やかになったり、ここが地上天国だと感じられるというその思考は「自動思考」のほうです。
能動思考(意図的思考)
- 自分で使う思考のこと。
- 意識的に「考えよう」として使う
- 目的や問いに基づいている
- 論理的・整理的
- 必要なときに始めて、終えられる
- 感情から少し距離がある
- 計算する、予定を立てる、問題解決など
例
「この問題の原因は何だろう?」
「どうすれば効率よくできる?」
「AとBならどっちがいいか比較しよう」
思考を道具として使っている状態で、目的(解決・改善)に向かって、筋道を立てて論理的に思考することです。これは必要あらば使います。
大きな違い
自動思考→思考に使われている
能動思考→思考を使っている
実感としての違い
同じ「考えている」でも体感が違います。
自動思考→流される・巻き込まれる・止まらない
能動思考→静か・はっきり・終われる
多くの人は自動思考を「自分の意思」だと勘違いしています。でも実際は、ほとんどは条件反射のようなもの。
思考が止まったという人がいるが、会話したり勉強したりするのに思考使ってないの?
これは自動思考と能動思考をいっしょくたにしている状態。ややこしいですが、別物なんです。
そして思考が止まったという人は、正しくは「自動思考が止まった」と言わないと、一切何も考えてないのか?そんなことありえるのか?と思われてしまいます。これ、とても重要なことと思います。
又、自動思考が一切出ない状態に拘る必要はなく、自動思考が勝手に浮かんでも気にしない、それと会話を続けない、「なんか浮かんだ、観察する=静まる」でOK。
「観察する=静まる」???
そんなあほな?全然静まらないよ、と最初は思うとおもいます。けれどずっと続けていくとそのうち自然とできるようになり、気づいたら「あれ?静かだわ」なんてことに。
偉大なお三方の比較
- デヴィッド・R・ホーキンズ博士「感情を抑えない・抵抗しない・ただ感じて手放す(明け渡す)=静まる」
- クリシュナムルティ「観察する・観るだけ=静まる」
- ラマナハマルシ「誰が思考しているのか?思考の出どころは?=思考が消える(源に還る)」
ホーキンズ→感じて手放す
クリシュナムルティ→観るだけ
ラマナ→「私は誰か?」と主体を問う
ホーキンズ→「手放そう」という意図がある(少し能動)
クリシュナムルティ→その意図すら見抜いてしまう
ラマナ→意図の主体そのものを消す
「観察すれば静まる」は共通の現象ですが、どう関わるかの深さが違うのがわかります。どれでもOK、好きなので、ピンとくる方法で。

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