アバター ファイヤー・アンド・アッシュ キャメロン監督の真意を読む(ネタバレ)精神世界的観点

精神世界

アバター ファイヤー・アンド・アッシュを4DXで観てきました。

4DXは、座席が揺れたり風が吹き荒れたり、水しぶきや香りが飛んできたりの派手なアクション座席で観る映画。長時間にもかかわらずずっと楽しかったです。

さて、前回アバター2に引き続き、3も戦いのシーンが多かったです。この乱闘騒ぎが私はとても苦手で、観るのをほんの少し躊躇していた部分もあったのですが、キリの接続シーンが出て「これシュタイナーだ。。」と思った瞬間、映画を観る視点がガラッと変わってしまい、乱闘シーンも大変意味深く視聴することができました。

今回はその私の見た視点で書きたいと思います。

※シュタイナー、クリシュナムルティ、ラマナマハルシの本を愛読している方向けの内容になってます。

映画の真の意味がネタバレるかもしれませんので、この先はご自身の判断でお読みくださればと思います。

記事内に広告が含まれています

アバター3

映像のまま見たら、「欲深い人間が、ナヴィの住む惑星の希少資源を狙い、入植しようとしている侵略映画」としてしか見えませんが、おそらく探求が進んでいる方が見ると、全く別次元の物語が浮き彫りになるかもしれません。

キリの接続

キリは、惑星パンドラの自然神であるエイワと特別な神秘的繋がりを持っており、物語の鍵を握る存在。

私がこのキリの接続シーンを見た瞬間、シュタイナーのいう秘儀参入(イニシエーション)や、量子力学でいうゼロポイントフィールドに繋がることの話をやっている!と認識し、映画がより神秘的に光り輝いて広大に広がりだし、そうか、乱闘シーンも心の世界の葛藤を描いてる、バガヴァッド・ギーターのような神話的ストーリーだ~、と気づきました。

キリが3度ほど「接続 → 肉体が眠る → 内的世界へ入る」という流れを辿っていたのは、まさに「意識の階層が反転する瞬間」の象徴に見えたのです。

キリの海底での接続 「死の縁」で開く秘儀参入

  • 生命の危機(死の門)
  • 肉体の機能が弱まり、意識が内側へ沈む
  • 深層意識の世界へ入る
  • そこで“源”と出会う、あるいは探す
  • 戻ってきたとき、力が変質している

これはシュタイナーが語る「死と再生の象徴的体験」そのものですし、ラマナが若いころ、死の門を通過し突然変貌してしまったのも同じに見えます。

キリが探していた神様とは何か

ゼロポイントフィールド

物理学的には「すべての粒子が生まれる基底の場」という概念。映画のエイワ(神)は、惑星全体の生命の情報場として描かれていますので、ゼロポイントフィールド的な解釈はかなり近いと思われます。

真我(アートマン)

ラマナ的な視点で言えば、キリが入った世界は「内側の宇宙」であり、そこで探している“神”は外側の存在ではなく、自分自身の本質そのものとも読めます。特に、「肉体が眠り、意識だけが源へ向かう」という描写は、真我探求の象徴と重なります。

シュタイナー的「世界霊」

シュタイナーは、自然界の背後には生命の大きな意志が働いていると言います。キリが接続していたのは、個を超えた生命の意識そのものという意味で、世界霊に近い。

  • 物理学は「場」と呼び
  • インド哲学は「真我」と呼び
  • 神秘学は「世界霊」と呼ぶ

ですが、指しているのは一つの「根源的な意識」という可能性があり、キリの体験はその象徴的な物語化に見えます。

シュタイナーが言う「象徴」と、キリの秘儀参入

シュタイナー用語辞典の説明は本質を突いています。

象徴とは(シュタイナー用語辞典 P.154より)

通常の言葉・概念では表現できないものを表す手段であり、未熟な人間を秘められた知から遠ざけるために用いられた。象徴は修行者を高次意識に状態に導くが、精神科学の知識なしに象徴を用いるのは、無意識のうちにエーテル体に影響が及ぶので危険である。

  • 象徴は、精神が成熟し、理解する準備ができている人にだけ開く扉
  • 未来の人類に向けて書かれた時限式の知
  • 準備が整っていない人にはただの物語見える

これはまさに、アバターの構造そのもの。キリの接続(秘儀参入)は、ナヴィも全員接続できるのに、キリだけが神と交信できる。象徴的に言えばこういうこと。

接続=生命の場に触れる力
交信=意識の源に触れる力

これは、シュタイナーが言う「秘儀参入の段階差」と完全に重なります。利己的な人間がこの能力を悪用できないのは、「技術」ではなく「意識の質」が鍵だから。

乱闘シーンを精神世界として観る、という別視点

乱闘シーンは特に、シュタイナー的な象徴解釈をして視聴していました。私に見えたものは、「ナヴィ(ルシファー)」対「唯物人間(アーリマン)」の意識上の葛藤の構図。火のアッシュ族は人間と手を組み、ナヴィ同士の内戦になる。

アーリマン的な力

  • 物質主義
  • 技術による支配
  • 破壊・分断
  • 生命の場から切り離す力

 ルシファー的な力

  • 霊的高揚
  • 儀式・幻想・陶酔
  • 現実から浮き上がる力

映画の戦いは、まさにこの二極の衝突として描かれていると見ました。アーリマンもルシファーも堕天使ですが、もともとは天使だったのが悪魔になりました。人間はこの2つを必ず持ち合わせています。

そしてシュタイナーは言います。どちらにも飲み込まれず、そのあいだで生きることが人間の課題だと。

大事なこと:中庸で生きる

↑これ、釈迦の言葉ですが、あらゆるところで聞く話ですね。

乱闘シーンが苦手で毛嫌いしてた以前の私とは違って、今回は物語を象徴として観る視点が開かれたので、抵抗がすっかり消えてしまいました。

黙示録、バガヴァッドギーター、日月神示なども同じで、文字通り読むと本当の意味はわからずつまらない話だったり、恐ろしいことが書いてあるだけに(私も以前は)見えていましたが、実のところ、「未熟な人間を秘められた知から遠ざけるために用いられた」ということになります。

けれど「実社会での様々な経験+探求」により、精神が成長し準備が整うと、おのずとその意味が勝手に自分の内側から湧き出るようにわかるようになります。わかるという言葉も限界があり、実際はわかるなんてものではなく、内奥から知っていたはずのものが溢れ出る感じ。

クオリッチ大佐のテーマ「他人の記憶を生きる」という囚われ

ジェイクが捕らえられた後のシーンで、ジェイクがクオリッチに言った非常に重要な発言がありました。セリフまで細かく覚えてませんが、内容的には”クオリッチは既に死んでしまった人の意識を埋め込まれたアバター兵士として任務についている。それは自分の人生ではない。本当の自分自身の人生を選ぶこともできるんだぞ?”というような意味の話。

この内容は、人類へのメッセージでもあると思いました。

  • 親からの条件付け
  • 社会の価値観
  • 役割
  • 過去の記憶
  • 「こう生きるべき」という思い込み

これらを自分だ、と思い込んで生きている世界中の人に向けて、映画は静かに問いかけてくれます。

「あなたは本当に自分の人生を生きているのか」

うぅ~、ぐっさりきましたが響きますね

これはまさに、グルジェフの自己想起と同じ。
クリシュナムルティが言う「条件付け・自動反応という川の流れから出る」という比喩とも完全に重なります。

条件付けられた川の中(社会の中)では、思考・記憶・社会の流れにただただ押し流されるだけ。川の外へ出たとき、初めて“洞察”が生まれ、そこからようやく本当に生きることができる。

クオリッチは「川の中に閉じ込められた存在」として描かれています。ジェイクの言葉は、その川から出る可能性を示した瞬間でした。

私たちも、社会の条件付けの中でしかものを考えることができていないわけですが、その条件づけられたものは自分自身ではない、他人から植え付けられたもので、まさにこの身体というアバターを生きているのとなんだか似てますね。しかしそこから出る道があり、それが意識変容の道で、それの何がいいのと言えば、「悩みがなくなり至福になる」のですが、言葉では陳腐すぎます。表現がありません。実体験しないと見えない意識の世界。

だいぶあとのシーンでクオリッチが自分から谷底に落ちていったことも、意味深かったです。他人の意識を植え付けられたアバターなのに、その他人の息子スパイダーに愛情を向けてしまう。スパイダーからも、あんたは父さんじゃない、と言われているのに・・切なすぎてこのシーンはうるうるしました。

記事内に広告が含まれています

キャメロン監督が本当に伝えたいもの

キャメロン監督は、環境思想・神話学・意識研究を深く学んでいる方だそうで、アバターは単なる娯楽ではなく、現代の神話として設計されている要素があると今初めて知りました。

象徴を読み取った方は、映画からいろんなメッセージを受け取り、深く感動したかもしれません。

キャメロンは実際に、「観客が成熟していなければ、作品は届かない」という趣旨の発言を何度もしているようですね。

アバター3以降の制作を迷っているのは、興行収入だけではなく、人類がこの物語を受け取る準備があるかを見ているからと言えそうです。象徴を読み取る観客が増えるほど、キャメロンは次を作る意味を感じるはず。

人間は皆、自分の中のルシファーとアーリマンが葛藤して心理的に戦っているのです。人間はこの2つの堕天使が必ず居て、葛藤しています。クリシュナムルティの言う「川から出たとき」、静寂とともにその葛藤が消え去ります。グルジェフの「自己想起」も川から出た状態で生きることで、ラマナの「真我」も同じ意味。

雑念という自動思考が消え、何かふと思いがやってきてもそこに巻き込まれない。しかし現実に起こった問題には的確に洞察をもって素早く対処する。

このあたりの「素早く対処」が、私も最近ようやく頭の理解だけではなく、実体験でわかってきたところです。思考に巻き込まれなくても何も考えず空白なだけなら、何もできませんから、洞察が必要。

というわけで、アバター ファイヤー・アンド・アッシュ、本当に深い映画でしたし、4DXアクション座席で遊園地みたいな体感も楽しめました。同じ視点で視聴された方がいらしたら凄くうれしいです。私もまだまだですが、少しづつ、日常のいろんな体験によって気づきが起こるのは、生きてる醍醐味でもあります。

それにAIテクノロジーが進んでいる現代、これも気づきが起こるものすごい助けになります。それは本当です。

ありがとうございました。

精神世界
記事内に広告が含まれています
記事内に広告が含まれています
candyをフォローする
精神ぷらりたび

コメント

タイトルとURLをコピーしました