十三番目の冥想

精神世界

ちょっとだけご紹介。

「十三番目の冥想」は、リチャードバック著「イリュージョン」の救世主入門の詳しい説明です。イリュージョンを読んでなくても理解できますし、原典救世主入門は巻末にも載ってます。

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十三番目の冥想

P.6

例えば心霊科学者等は言うわけよ。そもそも何とか霊界から出てきてね、そして死んだ後にはまたそこに戻るというようなことをね。でもそれはね、本当の部分じゃないんだよ。人間の表面的な性格を形作っている在る部分が霊界へ行ったり現象界へ来たりするだけなんだ。

いい?本当の俺たち、ここにいる俺たちっていうのは光なんだ。だからどこから来てどこへ行くっていうことの答えは、光っていうことなんだ。それは、来もしなければ、行くこともないんだ。いつでもいっぱなしなんだ。

いい?それは光という言葉よりもっと明確な形で言えば、光っていうのはシンボリックな言い方だからね、それはそのものずばりで言えば、”愛”なんだ。人間は愛の中から来て、また愛の中へまた帰ってゆくんだ。しかも愛の中から出て来ながら、その、一緒に、愛といるんだ。愛が愛の中から出てくる。いい?君という愛の中から愛という子供が生まれるんだ。

P.9~

いい?忘れないでくれよ。人間は役者だよ。一つ一つの役割を演じてるよ。けれどこの演劇の最高にして最高のテーマは愛なんだよ。

時には霊能者タイプの人だと悪魔と神なんていう法則と欲望の法則とを同格に置いちゃうわけね。でも本当は同格じゃない。霊能者っていうのはね、愛そのものじゃなくてその中間を見る人のことを言うんだ。
愛そのものの世界ではなくて中間にある人間の意識の世界、深い心の状態、いろいろな心のもつれ。とにかくいろんなことがあるんだ、人間の深みの中には。
この世で起きた一切が。

とにかく目を背けたくなるような恐ろしいことも、信じられないくらいの解放感も安らぎも、それが全部人間の心の世界にある。
それが横から見ると天使と悪魔に見えて、実在に見えて、この世には天使と悪魔がいる。あっ悪魔がいる、蛇がいる、祓わなければならない、そうゆうふうになるわけ。これは最初の地に身を投げ出したところの混乱なのでありますけど。

問「祓いたまえ、浄めたまえとかお浄め、あれはどう考えたらいいの?」

その場合はね、もし濁るということがなかったらこの世の物語はできないということを忘れないでほしい。垢がつくし埃がつくしね。つまり現象の目、最初、地に降りて来た時の混乱だよ。マーヤー(無明)というのがそれ。でないと全然物語にならないじゃない?

君が風呂に一度も入らないでいつでも綺麗だったら物語にならないよ。風呂に入らないで埃がつかないということは君の肉体がないってことで君の意識がなければ君は愛そのものなんだ。

…俺達が生きてゆくのは何かっていうとさ、そこにいろんなものが出来てさ、1つ1つ愛の心で解決してゆくところに物語ができるんでしょ。祓いたまえ浄めたまえというのは俺達がいろんな仕事なり何なりに励んでいき埃のついたのをさぁゆっくり洗い流そうというのに過ぎない。

愛の心というのを育てていかなきゃいけない。

わざわざ神なる君達はさ、この世に最初の地に投じた混乱を起こしているのです。忘れないでください。何故混乱が起こったかと言うその理由。それは君達が愛という物語をこの世に表現するため。

問「混乱というのは人間の堕落?」

堕落とも言えるよ。旧約聖書エデンの園、あんな素敵な園があるのになぜ誘惑にかかるわけ?なぜ園を追われちゃうの?それは物語を作るためさ。


人にはそれぞれ与えられた役割があるんだ。その役割というのがさ、完全にぴったり一つになるわけ、愛の流れと。その時に人間は完璧に自由なんだ。

何やってもいいというのはものすごく誤解されやすい言葉であってね。何やってもいいというのは、自分に相応しいことを自ずからひとりでにやってる状態のことを言うんだ。

イリュージョン

絶版のようなので、図書館で検索してみてください。
良い本なのに絶版だなんて・・電子書籍にしてほしいくらいョ。
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