読書中、頭の中で声は聞こえていますか?
聞こえている方は、それは自分の声でしょうか、それとも?
私は頭の中で、自分の声のような、そうでもないような~声が聞こえています。この声を「内的ナレーション(inner voice)といいます。
内的ナレーション
実は読書中に「内的ナレーション(頭の中の声)」がまったくしない人も存在します。内的ナレーションがない人は、文字を「音声」ではなく「視覚情報」として処理するタイプ。
ある人とない人の割合は、およそ半々とのデータもあるようです。
内的ナレーションがない人
- 文字をそのまま意味として取り込む
- 音声化しないので読むのが速い
- 感情移入より情報処理が得意
- AI朗読のようなフラットな音声でも理解しやすい
速読は、内的ナレーションが弱いか、無いタイプの人が圧倒的に有利となります。内的ナレーションがない人はデータ処理型の読書スタイルで、これはどちらが優れているという話ではなく、脳の使い方が根本的に違うだけ。
速読の練習したかったのですが、私は向いてないとわかりました。
内的ナレーションがある人
- 著者の意識の質まで感じ取る
- 声の抑揚や間が理解の鍵になる
- 読むと静寂に溶けるような深い読書体験がある(読書瞑想)
私の場合、ナレーションの声は自分の声でもないような、著者の声を知っていたらその感じも合成されたり、声を知らない場合は勝手に「こんな声で、こんな話し方でしょう」という声になっています。このタイプの脳は、読書で「意味のある声」を作り出しているとのこと。
特に夜、静かな部屋で精神世界や哲学関連の本を読むと、数ページ読むだけで深い瞑想状態に入ってしまったり(寝転んで読むので余計。。)本の内容に共鳴が起こり、目を閉じるとすでに丹光が始まっていて脳がシータ波。
クリシュナムルティやラマナ・マハルシを読むと静寂になる理由
彼らの語りは、言葉の意味よりも、言葉の背後にある沈黙の質が強いので、読んでるほうも心が静まり返り、読む瞑想になります。これは彼らの教えの核心そのものです。
クリシュナムルティは「理解は静寂の中で起こる」と言い、
ラマナ・マハルシは「真の教えは沈黙である」と言いました。
まさにその“沈黙の教え”を読書を通して受け取っているといえます。
内的ナレーションがある人は、探求に入りやすいかもしれませんね。
私としては、内なる声はみんなあるんだと思っていたので、全くない人も半分いらっしゃるのだと知って新たな発見だったのもありますし、無い人は速読も可能で、言語化するのも得意そう。さぞかし現代は生きやすいだろうな~と思います。
脳の特性って、いろいろあって興味深いですね。

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