黎明(れいめい)上下巻|これはこれは・・もの凄い本に出会ってしまった。この世の真理が書かれている日本人が書いた本

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「新版 黎明(上下巻)」、この本凄い。出会えたことに感謝したい。

内容が凄いというか、私が知りたかった事、知らねばならない事が丁寧にあますことなく説明されているので、他の多数ある読みかけの本を全部放りだして黎明をずっと読み進めている。

この本は精神世界の事や善悪の陰謀にまつわることまで幅広く載っている。また、陰謀と言っても、陰謀論にハマる人が好むおどろおどろしいものではなく、むしろ真逆ときた。真逆なの。真逆ー!

今、1/3くらい読んだ状態。こうゆうことをやってはいけませんよ、ということが沢山書いてあるので( ゚д゚)ハッ!( ゚д゚)ハッ!と気づくことがあり、とても有難い。

聖書、ギータ―、インドやヒマラヤの大師たちの教えも散りばめられていて、その方面から書かれた書籍。

最初に発行されたのは2001年5月。そんな昔からこのような本があったのか。。

上巻、下巻の気になる目次からあっちこっちと読んでいる状態。とても丁寧にいろんな文献を調査されて書かれているが、全ての内容が真実かは私達にはわからない。しかしかなり貴重な内容がふんだんに書かれている。そんじょそこらの本じゃない印象が濃い。

大きな視点でみると、内容とか、この世で起こってきた全てのことの真実はどうなのか?など、どうでもいいことだということは理解しているつもり。それは真理には何の関係もない、単なる外側の出来事だもの。

上巻の冒頭、「編集部から」には、著者の葦原氏が下巻執筆中に思いもよらぬ事故でお亡くなりになったと書かれていた。

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上巻 第1章 世界という幻

ここでは量子力学や、ラマナマハルシ、ヨガナンダ、クリシュナムルティ、キリストや仏陀などの所謂「悟りを得た人、真我に通じちゃった人」がずっと共通して発言してきた「この世界はマーヤ(幻想)である」ということについて、どうして幻想と言えるのか?その説明がとても丁寧になされている。

確かにこの1章の説明を読んでいくと、リアルに見えているこの現実世界が実はスッカスカで実態が何もないと、納得してしまうのだ。色彩もないし、音もないの。ひぇ~!

あるように実感してしまってるのは、人間の五官があるから。
でも実際、実体など何もない~。
無いのにあると思って必死に生きている人間、、なんだか切ないというか健気というか。楽しんでいる人はいいのだが、もし人生に苦しんでいたり辛いことが沢山あるなばら、この幻想、何もない世界で右往左往しているだけのことに気づくだけで、世界の見方が真逆になるかもしれない。

いや、、人生に苦しんでいる方はこのような本にそもそも出会うことすらなく、運よく出会えたとしても読む気力すらないかも。

1章はちょっぴり難しいかもしれないので、他の章から読むとかなりハマると思える。私はまず1番最初に、この世の善悪や陰謀が本当に存在するのか知りたくて下巻から読み始めた。

上巻 普遍意識

少し引用する。

P118)日本語の創成の一部には覚者が関わっていて、例えば「素(ス)」という言葉はあらゆるものが現象化する大元である常在の生命を表していて、この「素」から生じた「素晴らしい」は雲があってもその上には必ず太陽が輝いているように、自我の造り出した迷いがどんなに混乱した現象を引き起こしていたとしても、その背後には無限の叡智であり完全な平安である普遍意識が常に在ることを示しています。

また「素直」という言葉も「素(もと)から直(じか)に」、つまり「普遍意識から直接」というのが本来の意味であり、一般に誤解されているように自我意識の人間のいうことを何でもハイハイ聞くような性質のことを言っているのではないのです。

〉自我意識の人間のいうことを何でもハイハイ聞くような性質のことを言っているのではないのです。

ってところが確かに!と唸ってしまう。

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下巻 第18章 光と影の識別

この章では「影の世界政府の陰謀」について詳しく書かれている。聖書の666の本当の意味や、獣の刻印を受けないと売り買いができなくなるなどの昔からある陰謀論で、田舎に疎開したり自給自足を始めている人、国から逃げ出す人など様々なのだが、人の意見に踊らされてないかきちんと見極めることも必要かなと私は思う。陰謀論など知らないけどもともと田舎で暮らしたいから引っ越したという人は問題なし。

見極めの判断は簡単。

恐怖心を持ってる人かどうか。
怖いから逃げる、怖いから従わない、などの恐怖心。

この全宇宙のあらゆることは普遍意識が司っている、その原理に立てば、外側の世界がどんなに混乱していたとしても、絶対的平安の心の状態にとどまり、自らの深奥より表現される神の愛と叡智に全託するという生き方が唯一の正しい選択である。

この本では、読む人が大きな誤解を受けないよう、間違った方向に誘導されないよう細心の注意が払われている。著者の気持ちがダイレクトに伝わってくるのは、波動なのか?

また、善意の気持ちだったとしても結果として他人を間違った方向に導いてしまうような迂闊な言動も、自分が悪になってカルマをこしらえてしまうとのことで。

みんな、良かれと思っていろいろ発言しているだけなのに、けれどそれこそがマーヤ(幻想)の世界であり、実際は何もなかったりして、せっせとカルマを作って自分にブーメランがくるように生きるなんて、そんなの無いよねぇ、、

(しかし、この世の真理、真我からしたら全てが完璧!)

下巻 日常の生活

P170)これは霊的な知識を多く蓄えている人がよく引っかかる罠なのですが、自分の持っている限られた知識から造り上げた判断基準に照らして、他の人達を批判するという謝りを犯すことが非常に多くあります。

まず第一に、自我意識の狭い視野に囚われている人間が、自分や他人に対して正しい判断をすることなどできるはずがないのですが、そのことはひとまず置いても、他の人の欠点が見えるという事自体、見る人がその幻影を造り出す波動を持っており、尚且つその欠点を許してない、つまり自分自身の迷いを相手に投影して見ており、それが真実ではないものを視ている状態であるという事実には気づいていないわけです。

ところが他人を批判する行為はこの事実関係を覆い隠して、あたかも自分が相手より勝れた存在であり、相手の欠点を正しく把握していて、しかもその欠点が自分とは無縁であるかのように自分や他人に思い込ませようとします。これは自我意識が生み出す巧妙な策略であり、霊性の向上にとって極めて有害なものですから、充分気を付けて頂きたいと思います。

で、、ですよね、、、という思いしかない((+_+))

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ヨガナンダやラマナ、ヒマラヤ聖者の本

黎明に会うまでは上記の本を読んでいる途中であったが。どれも共通している普遍意識。(言葉がいろいろあるが、言い方が違うだけで、普遍意識=真我=本当の私=ワンネス=神=創造神などなど。ややこしいネ)

自分の外側には一切真理が無い。この宇宙の真理があるのは自分の内側だけなのだ。内側とは自分の心の中の、その奥のことであり、自分の心(自我)=「わたし」という自我は偽物でまやかしで、いつも私を苦しめ分断を起こさせる思考を発生させる。

この自我を鎮め、心に静寂を迎え、「わたし」という認識が限りなく薄くなっていき、最後には消えてしまった・・となったときにムクムクっと立ち上がるのが、本当の私、ワンネスの真我なのであり、それだけがこの全宇宙の真理なんだということ。

外側の世界も楽しいし、たとえ人間の自我が偽物の心でも、その心が常に静寂であれば本当に世界は平和だと思える。

この、自我が偽物っていうのは本当に衝撃的であったが、そのことはまたいづれ書こうと思う。偽物という言葉がかなりキツイ。(偽物と書いているのはチベット、ヒマラヤ聖者関係の本)

偽物に翻弄されず、その偽物=思考に右往左往せず、悩まずにもっと気楽に楽しくみんなが生きられるといいな。

精神世界
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精神ぷらりたび(前題:海外ぷらりたび)

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