ミカエルの使命 第二講

ルドルフシュタイナーの「ミカエルの使命」より引用
人間の頭部においては、動物性からの進化が問題になっています。そして今、この進化が逆の方向にむいています。衰退に向かいつつあるのです。上昇する進化を今たどっているのは頭部以外の生体部分なのです。
…
人間はこんにちの状態においては、この魂的=霊的な思考像をまだ知覚していません。けれども、人間が自分自身の本性から生み出す思考像を知覚しなければならない時代がすでに始まっているのです。
私たちは眠ってから目覚めるまでの間だけ眠っているのではありません。私たちの本性のある部分は、一日中眠り続けています。感情生活については夢見ています。そして意志生活に関しては完全に眠っているのです。
そもそも意志のしていることは、睡眠時と同じように無意識に進行しています。
人間に関する大きな圧倒的な秘密
人間に関する大きな圧倒的な秘密があります。人間は長い進化の過程で頭部を進化させてきたのですが、そのあとから頭部以外の生体が付け加えられました。頭部はすでに逆行する進化をたどり始めています。
人間が自分の神的なものと感じることのできるものは、頭部以外の生体を通して人間に語りかけて来なければならないのです。頭部を通してではないのです。
そしてこのことが重要なのですが、頭部を通して人間に語りかけてくるのは、今のところルツィフェル的本性たちだけなのです。
ですからこう言うことができます。
他の生体部分が頭部に付け加えられたのは、神々が人間に語りかけることができるためなのだ、と。
引用終わり
「身体で受信する叡智」とは何か
シュタイナーが強調したのは、叡智は頭(思考)ではなく、身体(生命全体)に降りてくる
ということ。
- 頭は「解釈装置」
- 身体は「受信装置」
頭で受け取ると、自我が「意味づけ」「分類」「判断」をしてしまい、本来の純粋な叡智が歪みます。
一方、身体で受け取ると、「腑に落ちる」「静かにわかる」「抵抗がない」という質になるのです。
ルシファーという堕天使(悪魔)
そしてこのことが重要なのですが、頭部を通して人間に語りかけてくるのは、今のところルツィフェル的本性たちだけなのです。
※シュタイナーの本ではルツィフェルとなってますが、ちまたでよく聞くルシファーのことです。
この部分、おぉっ、と衝撃を受けました。頭部を通して人間に語りかけてくるのは・・・チャネリングや予言の類なんかもそうなんでしょうね。いや、歴史的な予言者がきちんと身体で受信したものでも、それを言葉にして人に伝える、本にする、その時に自我思考というフィルターを通すのでゆがんでしまう。
そして本を読む読者も自我で生きているので(この身体が私だと思っているので)、どんどんゆがみまくっていき、予言はいつしか「地球が終わる」などの破滅的な物語になってしまう・・

私も数年前までは、恐怖で破滅的なこと思ってました
予言が「破滅的」に読まれてしまう理由
予言そのものよりも、読む側の意識状態が内容を決めてしまうという現象が起きます。
- 頭(エゴ)で読むと「破滅、終末、罰、敵と味方、救われる者と滅びる者」という二元的な物語に変換される。
- 身体(存在全体)で読むと「変容、成熟、意識の転換、古い段階の卒業、新しい存在への移行」という進化の物語として受け取れる。
同じ言葉でも、受信する器によって意味がまったく変わる。これは黙示録でも、日月神示でも、ババ・ヴァンガでも同じです。予言は比喩表現を酷使して書かれています。
予言の本質は「未来の出来事」ではなく「意識の変容」
シュタイナーも、日月神示も、黙示録も、本質的には同じことを語っています。意識の変容の物語として読むと、読み手の世界が一気に変わります。
「古い意識の終わり」と「新しい意識の誕生」
これを「地球が終わる」と表現するか、
「人類が霊化する」と表現するか、
「新しい天と新しい地」と表現するかの違いだけ。
意識変容が起こる予言をしてもほとんどの人が興味を持ちません。「人類が霊化する」はシュタイナーの言葉ですが、大多数の人はシュタイナーに興味を持たず、霊というとお化けかなんかと思ってたり。
予言書は恐怖ではなく、意識の成熟の物語として読む。これは、シュタイナーが言う「ミカエルの時代の人間の読み方」そのもの。
- エゴの反応ではなく
- 身体の静かな理解
- 非二元的なまなざし
- 意識変容
重要な点
「身体の声を聴く」

コメント