1983年 イギリスのブロックウッド・パークで行われた、クリシュナムルティと物理学者デービッド・ボームによる対談「思考が関係しない行動は存在するのか(Is there an action not touched by thought?)」の第1回要約です。
この対談では、人類の未来が極めて危機的な状況にあるという認識から始まり、その根本的な原因として「思考」と「時間」の性質を深く掘り下げ、結論へ導いています。
人類の直面している危機と「思考」の限界
世界の現状
戦争、テロ、国家や宗教による分断、経済・環境危機など、世界は非常に危険な状態にあります。
思考の限界
科学や政治などの知的な営みは、この危機の解決に役立っていないどころか、問題を悪化させています。なぜなら、知識は常に過去の経験に基づいた「限定的」なものであり、その限定的な知識から生まれる「思考」もまた、常に不完全で限定的だからです。
心理的進化の否定
生物的 vs 心理的時間
技術や言語の習得、生物的な進化には「時間」が必要ですが、クリシュナムルティは「心理的な進化(自己が時間をかけて良くなること)」を完全に否定します。
「成ること(Becoming)」の虚構
「私は暴力的だが、時間をかけて非暴力的になる」という考えは幻想です。暴力的な人間が非暴力という理想を追い求めている間も、その人は暴力的なままであり、そこに葛藤が生じます。
個別性の幻想と人類の一体性
意識の共有
私は「個別の自己」であるという感覚は、思考が作り出した条件付け(プログラミング)による錯覚です。
人類は一つ
恐怖、悲しみ、孤独、苦しみといった人間の意識の内容は、全人類に共通するものです。したがって、個人の意識というものは存在せず、「人類の意識」という一つの広大な流れがあるだけだと説きます。私とあなた、わが国と他国のような分断という錯覚が、あらゆる紛争の源となっています。
苦しみの終焉と「知性」
苦しみの本質
苦しみは「私」という自己に固執し、それを他から切り離すことで生じます。自分の苦しみを「全人類の苦しみ」として捉えるとき、個人的な自己中心性は消え始めます。
真の知性
思考は記憶に基づく機械的な反応(コンピュータプログラムのようなもの)ですが、「知性」は思考を超えた次元のものです。
愛と慈悲
自己への執着や、特定の宗教・思想への帰依から自由になったとき、初めて「愛」と「慈悲」が生まれます。この慈悲こそが、思考に汚されていない真の「知性」の基盤となります。
結論
人類に未来があるとするならば、それは思考による断片的な改善(政治的・技術的解決)ではなく、「思考は常に限定的である」という事実を洞察し、自己という幻想から目覚めることにかかっていると結論づけています。



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