今回は、時に私たちに強烈な苦悩を与える「自動思考」とは一体何なのか?というお話です。プラトンの洞窟の比喩の絵をネットから拝借いたしました。現実界で影絵を見ているのが、私たち人間です。

私の自動思考が勝手に止まった方法は、今まとめ中ですので、そのうちUPいたします。
自動思考とは一体何なのか?
言語の獲得と「影絵」の始まり
幼児が3〜4歳ごろから絶え間なくお喋りをするのは、言語による世界の構築(ナラティブ・セルフ)の真っ最中と言えます。
ラベル貼り
「これは林檎」「これは私のもの」と言葉を覚えるたびに、世界に境界線が引かれていきます。
内面化
やがてその声が外に出なくなり、「内言(心の声)」となったものが自動思考の正体です。
影絵の投影
言葉によって作られた「私」という虚像が、洞窟の壁面に映る影(物語)を本当の自分だと思いこみ始めます。
まさに、私たちは目に見えない心の世界に生きているのです。そう理解すると、人と意見が違っても不思議ではありません。皆同じ影絵を見ているのではなく、皆、全く違う、好き勝手に解釈した心の世界に生きている、この心の世界が幻影、ということです。
なぜ自動思考を止めるのは難しいのか
それは、脳にとって自動思考が生存のためのシミュレーションだからです。
脳のデフォルト・モード
脳は放っておくと、過去の反省や未来の不安を勝手に計算し続けます。これは生物としての防衛本能(OS)に深く刻まれています。
「私」という執着
「私がいないと困る(死んでしまう)」というエゴの生存本能が、静寂を「死」や「無」のように感じて恐れ、思考という名のガソリンを注ぎ続けます。
概念による「認識」と「鏡」としての他者
「私しか居なかったら、私を認識できない」
認識の二元性
光があるから影がわかり、「他者(エゴ)」があるから「静寂(無我)」が際立ちます。
有り難い反面教師
猛烈にエゴを主張する他人は、自分の中に残っている微かなエゴや、あるいは自分が脱ぎ捨てた古い服を見せてくれる「生きた鏡」です。彼らが激しく動けば動くほど、背景にあるあなたの静寂はより深くなります。
静寂のその先にあるもの
自動思考が止まり、ベースが「静寂」になると、世界の見え方は「解釈」から「直接体験」へと変わります。
一つ面白い視点として、「身体感覚」への意識があります。思考が静かなとき、私たちの五感(風の冷たさ、お腹が空く感覚、足の裏の感触)は、以前よりも鮮明に、思考のフィルターを通さずに感じられるようになっていることに、気づくことでしょう。

「私」という物語が消えたあとに残る、この「生々しい感覚世界」こそが、プラトンの洞窟の比喩の絵にある、洞窟の外に広がる本当の太陽の光(イデア界)なのかもしれません。

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