真我に辿りついた工程 その2|自分が完全に消えてしまう全身麻酔

真我・悟り
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こんにちは。前回の続きです。

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自分が完全に消えてしまう体験

昔、20代前半の頃、事故で大きな手術を受けたのですが、その時の全身麻酔で「私という自我」と「意識」が急速に消滅していく様子をありありと実体験したのです。全身麻酔は5~6回受けてますが、そのうちの1回だけ、この体験をしました。ということで、全身麻酔を受けてる患者さんは毎日沢山いらっしゃるわけですが、消滅に気づくかは運次第?

何故その時1回だけ気づいたのか?は、麻酔科医が「一緒に数を数えましょう、10数え終わるまでに眠ってしまいますからね」といってくれたから。この、一緒に声だして数を数えるという行為が重要でした。声を出しているので、自分が消えていく様子がよくわかるのです。

数を数えだした時、先生のテンポはゆっくりで、私は早めに数えるつもりでテンポの違いに驚き、意識がより一層冴える。

私の目も開いており、麻酔のガスマスクみたいなの口に軽く当てられたのをじっと見ながら数を数える。

いーち、にーぃ、さ・・

「にーぃ」の途中で、目を開けてるのに視界が急速に真っ暗になり、「うわぁぁぁ~!私が消えるー!」と強く思った。(瞼を開けているのに闇黒の暗闇!)

さん、というつもりが消え入りそうな「さ・・」しか言えず、声も出せなくなったが、まだ麻酔科医の声は聴こえる。先生の声は「さ~ん、よ~、あれ?早ッ、もうかかったよ」という所まで聞こえ、傍にいる研修医や看護師さんたちの声や、物音などもスーッと遠のいっていった。

麻酔完了。

この時、自分が急速に消滅していくさなか、その周囲にあるんです。ソレが。私という個我が消えていく時、真っ暗ですが全ての顕現の源としての無がある。私は真我に吸い込まれて消えてしまったってことか、、と理解したのは当時のオペから年月が経ちすぎた、去年でした。

私はそこに吸い込まれ消えちゃって、そして麻酔が切れたらそこから「私と世界」が立ち現れる。

眠っている時も同じで、そこに吸い込まれて私という意識も一切消え、そして朝目覚める時にそこから私が立ち現れてくる。眠りの場合は、起きている状態と眠りの境目を認識する事がほぼ不可能なため、自分が消えていく様子がありありとわかることは、ないですね。。でも同じこと。

麻酔の場合は時間経過感覚がなく、20時間以上の手術だったのに起こされた時は1分も経過してないような感じ、これは5~6回受けた全身麻酔、全部その状態でした。

長時間眠りすぎて身体が痛いとか、同じ体勢で首が凝ったとか微塵もないので、麻酔の筋弛緩の影響かも?

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麻酔、失神、気絶、眠り

ラマナマハルシの本に「麻酔、失神、気絶、眠り」も真我の状態だと書いてあったのを見たのですがどの本だったか、沢山あるので探せず。いつの日か見つけたら追記したいです。

有名な「私は誰か Who am I」の24に、眠りと失神は書いてあります。

24 幸福とは何でしょうか?
幸福とは真我の本性そのものである。幸福と真我は別のものではない。
世界のいかなるものごとのなかにも幸福はない。われわれは無知ゆえに、ものごとから幸福を得るものだと思っている。心が外へ出ていくと、不幸を体験する。心の願いが満たされたとき、実は、心は自己本来の場所に戻っており、真我である幸福を楽しむのである。同じように、眠りの状態、サマーディ、失神状態、あるいは、得たいと願っていたものが得られたり、嫌っていたものが消え去ったりしたときには、心は内面に向かい、純粋な真我-幸福を楽しむのである。このように心は休むことなく動きまわり、真我からさ迷いでては、また戻ってくるということを繰り返している。

木陰は気持ちいいが、外では太陽が焼けつくようだ。灼熱の太陽のなかを歩いてきた人が木陰にたどり着けば涼しいと感じる。木陰からわざわざ出て猛暑のなかを行き、それからまた木陰に戻ってくるのは愚かなことである。賢い人はずっと木陰にとどまっているだろう。同じように、真理を知る人の心は、ブラフマンを離れることはない。その反対に、無知な人の心は、悲惨を味わいながら世界をさ迷い歩き、つかの間の幸福を味わうためにブラフマンに戻ってくる。実際には、世界と呼ばれているものはただの想念にすぎない。世界が消え去ったとき、つまり想念が存在しないとき、心は幸福を体験する。世界が現れると、不幸を味わうのである。
https://www.sriramanamaharshi.org/downloadbooks/whoami_all_languages/Who-Am-I-Japanese.pdf

プンジャジ(パパジ)も「麻酔もそうだ」と、おっしゃってた。動画だったかもしれないがブックマークしてないので探せず。

唯一、霊能者の月夜見さんの本だけはマーカーを引いていたので以下に。

特に麻酔のどの部分がそうである、などの説明は一切なく、この一文だけなの。

科学技術の発展で人類が悟りに向かうのも、確かにそうだと思います。インターネットの登場も聖者の動画も、そうですね。

ほんの100年前、命の危険を冒して鎖国中のチベットに仏典の原典を探しにいった河口慧海さんや、もっと大昔は、徒歩で天竺(古代インド)にサンスクリットの仏典を探しにいった三蔵法師など、、、

そのうち読みたいと思っている河口慧海さんの文庫本

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麻酔科医の話

数か月前に友人のベテラン麻酔科医にこの件を聞いてみたところ、「30~40代の女性患者さんからは、意識が消えていくことや、麻酔中に時間の経過が全くなかったこと、寝ているのとは全く違う状態であったこと等を術後に問われる事が頻繁にある。しかし長年麻酔科医やってるけど、男性患者さんからは一度も聞かれたことがない。男性はぼーっとしている人が多い。女性は鋭く、術後に何度も聞いてくる人がいる。

とのことでした。

私が消える体験をしても知識がないと何のことかわからない

パパジは6歳の時に神秘体験し、それが何かわからないまま大人になり、ラマナマハルシと出会って沈黙の瞳で見つめられたその時、6歳の時の体験が再現され覚醒。

何か体験していても、知識がないとわからない。周囲は誰も知らないし教えてもくれない。

私は小学生の時に気絶を2回しているのですが、それは今思い起こしてもよくわからない。急速に気分が悪くなって意識が途絶え気絶したので、「気分が悪かった」ということしか覚えてなくて。急速に自分が消えたはずですが、気分が悪いと微妙でした。

それで、私の場合は前回載せたパパジの動画で、そのゾーンに一瞬で入れてしまったということです。

同じ動画を見ても響くところは人によって違い、自我には操作不可能とのこと。本体の真我のほうが決めるっていうんだから、どうしようもない。

私が思った事は、知識を入れすぎて「真我がわかりたい」とそればかり思っていると逆に自我が強化され真逆の罠に陥ってしまう。

罠に陥る、ということを理解して、必死にならないことかなと。真我への道はいろんな方法が沢山あり、合う合わないもあります。

去年の11月は、「私が居ない、そして全てが在る」ことが腑に落ちただけでしたが、その後徐々にいろんな理解がついてきたり、自然や世界の見え方が変わったことで、感じるものが変わったり。

ここ数日、別の変化も起こったので、またそのうちまとめたいと思ってます。これからも徐々に変化が起こるんだ、ということがわかりました。

真我・悟り
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精神ぷらりたび(前題:海外ぷらりたび)

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