入院中の祖母の見舞い(最期のお別れのつもり)大往生に向かう、無執着の悟り状態はこんな感じ?

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9/20、祖母が入院。
96歳、もう自力で歩くことも難しくなり、急速に容態が悪くなっていった。9/8に会った時はまだ家の中をゆっくりとは言え自力で歩いていたし、お話しもできていたというのに。

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救急車→入院

病院へは救急車で行くことになり母が付き添った。母はなんだかいつもこうゆう「肝心な時」にその場にいるような人。何かのお役目なのかもしれない。

救急車にて、1軒目の病院では受け入れを拒否されたので2軒目の病院に入院する事になった。これが運のツキになったようで、良い方向へ向かったかなと。なぜなら1軒目の病院は個人的に避けたいナンバーワンの病院であったのです・・汗。(受け入れ拒否というより、ここじゃないよ!という導きだった?)

そして2軒目で受け入れしてくれた病院では「感染対策」と称して面会謝絶になっている。もう5類になったからとうっかりしていた、そうか、、面会できないのか・・いやいや、もう退院できる見込みがないのにどうなるのだろう?

しかし、よくよく話を聞いてみると週一回だけ面会できるという措置が取られていた。よかった。。

入院患者への面会

  • 週一度(時間予約制)
  • 面会は15分間だけ
  • 面会者は2人だけ

うぅぅっ、2人だけ。。少ない。いやしかし、全く会えないという状態ではないので有難いと思わないといけないかな。祖母があととどれだけもってくれるか?にもよるのだが、面会に来たい親族は沢山いるのです・・・

ここで「立場」の次に、「声がデカい人」が優先される法則。

先週は祖母の子である、長女と三女(私のおばさん達)がお見舞いに行った。そして今週は声がデカい祖母にとっての初孫のわたしがお見舞いに行った(おばさんと)。

15分のはずが、おまけしてくれたのか時間はずいぶん長めにとってもらえた。来週の予約も同じ時間にしたほうがいい、オマケしてくれる時間帯やと思う。

病院が新築になっていた

まず、昔からある病院で幽霊が出そうなくらいぼろっちいイメージしかなかったのに、なんと、病棟が新築になっていた。綺麗で明るく、良い感じのイメージが漂っていて「ほほぅ~」と思った。

入り口でAIカメラに「マスクをしてください」と注意されてしまったw。病院なので、マスクは持参してきている。久しぶりにマスクをしたけれど、苦しい・・・。人に言われるよりAIカメラに注意されたほうがいいですね。

面会場所は廊下

いやぁ、廊下って?笑。

祖母はベットごと運びだされてきました。私のことを母と間違えていたけれど、名前を言ったら理解してくれました。大丈夫かな?もうほとんど寝ている状態で、「シュタイナー的に言うと自我とアストラル体が肉体から離れている状態」が殆どの様子(要は、ずっと寝ている)。

弱弱しくなっているものの、顔色や雰囲気は良さげで、このまま老衰、大往生のご褒美をいただく人の状態がこうゆう感じなんだなぁと。大昔、ひーばぁちゃんは自宅で大往生した、あの頃私は幼稚園児だったけれど、同じような状態だと思った。今の時代では自宅ではなく病院になってしまうけれど。

しかし、真新しい綺麗なパジャマを着て、キレイで新しくて清潔なベットに寝ている祖母の様子をみたら、自宅にいるより入院していたほうが衛生的でいいのでは・・とちょっと思ってしまった。

自宅に帰っても祖母のお世話をずっと付き添ってしてくれる人はおらず、通いでしか行けない。病院にいたら看護師さんか常に居ててくれる。。

問題は、「面会が週1度、2人まで」。
それだけ。

難しいところですね。昔のように大家族だったら、だれなと面倒みる手は沢山あったのに、今は核家族化しており、同居している者が仕事に出かけると祖母は日中一人になってしまう。

病院の雰囲気

新築の病棟になっていた影響が大きいと思うけれど、何よりそこで勤務している看護師さん医師の雰囲気が良かった。なにか、良いエネルギーが舞っているようなそんな感じ。ピリピリキチキチした印象が全くなく、皆さん笑顔で話しかけてくださる。

見舞いに行くまでは、自分が知ってるかつての汚い薄暗い、薬品臭いにおいの充満した病棟をイメージしていたのに、そこは薬品の匂いも全くしなかった

祖母の状態

主治医からお話を聞いたところ、

  • 誤嚥性肺炎が酷くなってきている
  • 入院した日からずっと絶食中で点滴だけの薄い栄養になっている
  • 絶食してるのに誤嚥性肺炎が酷くなってしまうのは、唾液を飲み込んでもそれが少しづつ肺に流れ込んでしまうため、超高齢者によくあること。
  • 腎臓の機能が良くない

ということで、、、

私の目から見ても、多分誰が見ても、祖母はこのまま老衰へ、、という状態でしかなく、入院していると延命させようとするので、そこのところが問題ではあります。

私だったら、もう逝こうとしているのに点滴で延命などしてほしくないし、食事もできない、寝てばかりならもう・・となるから。

緊急事態が起きた時に延命措置はしますか?の病院からの問いには「いいえ、しません」とお伝えしてます。

とは言え、祖母にもう意思決定はできず、このまま多臓器不全になっていくのではないかなと勝手に思っております。

私は最期のお別れのつもりで会いにいったけれど、祖母の様子をみていたら、まだしばらく大丈夫な感じがしたし、痰がひどく詰まって、、、という状況にならない限りもう少しこのまま生きてくれると思えました。

できるだけ順繰りと親族達がお見舞いに行くことになりますが、私はもうあれがきっと最期だろうなぁ。。

面会が終わってベットのまま運ばれていく祖母は、最後までこちらを向いて手を振ってくれていました。あとは夢で逢いましょう。又は、瞑想中に想念が交信できるかもしれない。

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これが自我の妄想(マーヤ)の仕業。実際そんなことは無いのに。

病院に行って実際見るまでは、あれこれ私の自我が勝手に考えて、面会が週1だなんて!なんとしてでも自宅に帰れるようにしないとみんなとお別れできないまま祖母は一人で寂しく病院で亡くなるの?なんて思ったりしてました。(偽物の自我が勝手な偽装思考をめぐらすわけです。偽物なので、「また妄想かぃ?」と観察するだけでOK。浮かんだ思考を否定・拒否すると自我が強化されるので、観察するだけに留める。)

しかし実際は真逆でありました。

自宅に居るより綺麗な環境で綺麗な布団で過ごせて、面会は週1とは言えできるし、リハビリもやってくれるし(リハビリと言う名の、足腰が弱らないようにマッサージ)病院はよくやってくれているのです。

主治医の女医さんもしっかりされていて、優しく丁寧な印象。医師から説明があったときも、私は孫なのでおまけのつもりでその場にいたのに、先生は私の目を見て話されるので「え?わたし?」と驚いて、おまけ人間の意識を萎ませ、しっかり話を聞いてきました。

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大往生になると自我が無くなって悟りを開くのでは?

などと私は、祖母をみながら考えてます。

祖母は85歳くらいまではお墓の管理とかいろいろ気にしていて、長男に話したりしていたけれど、徐々に何も言わなくなり、そのうちどうでもよくなったのか、執着が取れていったのか。

これが食べたい、あれがほしい、ということも全く言わなくなり、聞いても特に何もないという。9/8までは、プリンや和菓子を持って行くと「これ美味しいなぁ」と全部食べていたけれど、自分から何かを求めることは、全くといっていいほど皆無になっていた。

祖母にはもう執着が全くない。微塵もない。
この世の物質に全く執着の無くなった人の様子を実際何度も接する機会があることは、正直なところもの凄い衝撃です。他の人は欲と執着だらけ~(私もね~)。

最期に「おばあちゃん、会いたい人はいるか?」と聞いたら「いない」と言ったw

ここまで執着がないのである。凄い。。

これが大往生を迎える人の生きざまなのだと思った私なのであります。自然と、何の努力も無く、苦しみもなく、そのような菩薩のような意識に変化していく。自我意識が限りなく小さくなり、全てが完璧でOKになるのですね。そのように祖母を見ながら理解しました。

03日記
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精神ぷらりたび(前題:海外ぷらりたび)

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