仕事仲間達に明晰夢をみることができるか、聞いてみた

03日記
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先日、仕事仲間達に明晰夢をみることができるか?聞いてみました。誰も居ないか、居ても1人くらいかも?と思っていたものの、意外と「みれる!」という人が数人いて驚いたのです。

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明晰夢(自覚夢)

個別に8人に聞くことができて、うち3人が「夢を見ている時に、これは夢だと気づく」と即答。

反応は想定した通りで、明晰夢が見れると即答した人達はその話に食いついてきて、「コレは夢だと気づくことなんかない」と答えた人達はこの話に何の興味も示さず、それが何?とすら聞いてきませんで話がすぐ終了しました。笑。

それは何?夢に気づくことなんかあるの?と聞いてくれると、その人はこの先いつか明晰夢が見れるようになるかもしれない可能性がぐんとあがりますが、全く興味を示さない場合はこの先も皆無でしょう。

明晰夢経験者の3名は全員女性。しかし、明晰夢という言葉は初耳で、夢に気づくことが何の意味があるのかは何も知らない様子。

知らないと、夢だと気づいたというだけで、ただただ夢が勝手に進行していくのに流されるだけになります。自分で夢を作り替えたり、空を飛んだり、壁を突き抜けたり、お金を手から出したり、などなどいろんなことができるなどとは考えすらしない、私も明晰夢の本で知るまでは、ただ夢が流れていくだけでした。

明晰夢は、夢の世界でこれは夢だと気づくこと。

というと事は、この先この現実世界でも「コレは夢だった」と気づく可能性が出てくるわけです。

この現実世界、目が開いて起きている時間帯も「夢、幻影の世界、マーヤ」だということであります。量子力学でいう、ホログラフィック宇宙論。

真我を直接体験すると底が抜けるので一瞬で理解可能。その後はサレンダーして全自動おまかせで生きると勝手に上手く人生が進んで行く。

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私は誰か?

ではここで、明晰夢が見れると答えた人に、「あなたは自分が誰なのか、自分が何なのかを知っている?」と聞いてみました。

「私は私やん。」という想定内のお答え。

「あなたは身体なの?」と聞くと「そうだ」と答える人もいれば、「いや、身体ではないな。。身体も私やけど、でも本当の私は霊みたいなものだと感じる」と鋭い答えを返した人もいました。

けれど、精神世界の本を読んだことがあるわけでもなさそうで、毎日神社にお参りに行っていると。

そうか、神様は外側に居ると思っている人なのだな、と理解し「神様は自分の中にいるのでは?」と話をふってみるとやや強い口調で「そんなことはない!」と。あくまで神様は外側にいるのだそうです。

強い口調になった←ここ大きなポイントで、その人が絶対と信じていることだと言える。

「神社に鏡があるのは何故か知っている?その鏡に、自分がうつっているよね?自分に向かって手を合わせに神社に行っているのでは?」と言ってみたら

ん?????

え???

と混乱を起こさせてしまったようで、その話はもうやめとこうと。でもこの後、彼女は何かその関係の本を読んだり、ネットで調べたりするかもしれません。

神社に行くのが無駄といってるわけではないのです。私も行きますし。ただ、神社に行くという行動が起こっているだけ、という認識です。

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神は内側にいる(神=自分)

神様は外側にいるのではなく、一人一人の内側にいるということを、どうやったら伝えられるか?と思うのですが、一応話す人は選びまくっているものの、なにか「え?そうなの?」という気づきのきっかけになるような言葉を直に出会った人に伝えたいなと考えてます。

神という言葉も私はあまり好きではなく、普遍的な意識というほうがいいかもしれない。全てが神、普遍意識の表れであり、そのすべては私の中にあるのです(ややこしい)。

それを、明晰夢が見れるかどうかでYESと答えた人だけに話すっていうのも違う気がするのですが、自分の肉体だけが自分であって、霊体などない、目に見えないものなど無い、と信じ込んでいる多くの人に迂闊なことをいうのも良くないかなぁとも思え、ビミョーです。

認識の逆転

でもこの事「私は誰か?」を知識的に知り、その後いつの日か直接体験が起こる事で、今までの認識が逆転し、生きる事が本当にらくになるといいますか、ラクどころではなくこの世が楽園に変化してしまうのです。

※直接体験は、私は誰かの知識を持ってない人でも勝手に発動します。でも、何も知らなければ何が起こったかわからず、素晴らしい体験なのに、真逆の「恐怖」を感じてしまうこともあります。だって、私どころか、誰も居ないってことが瞬時にわかるわけでして 汗。知識があれば、恐怖ではなく笑い転げる場面になるでしょう。

認識の逆転は、日月神示でいうところの「神一厘の仕組み」であるとか、はたまた私はあまり好きではない表現ですが、所謂「アセンション」ってことかと思います。

普通に地球の三次元で肉体をもっているのに、想念の次元が以前とは全く変わってしまう感じ。同じものを見ていても、認識がまるでちがうようになっているのと、それが家族に勝手に伝播していってまして、なかなか興味深いのです。

本当に小さな小さな、しょうもないことが幸せと思えたり、今まで嫌だなと思っていたことが考え方が逆転することで楽しい!になれる。(楽しいと思ってる人は一体誰なんでしょう?勝手に起こってます)

大きな楽しい!がくると、大きな嫌だな、が発生する二元世界に生きてますが、大きな楽しいも大きな嫌だなも、ふっと湧いてスッと消えていく、そこに囚われてないことも最高です。

自分がそのような、特に意味ないけど至福だねっていう波動を出しているせいか、嫌な人が全く寄ってきません。1人たりとも(今のところ)。

悩みが無さ過ぎになるので、たまにちょっとした嫌な気持ちがわいたりすると「おぉ!」と嬉しくなります。嫌な気持ちになるってことは、そのことに自我が反応しているわけで、まだ私の中に何か「わたし」的なものが残っているという発見なのです。

けれどその自我はすぐさま消えていき、嫌な気持ちもふっと湧いてもすぐに消滅。それは肉体に備わった一つの機能であり、起きている時間帯、外側で起こった事について何か思ったりすることは普通にあるのです。あるのですが、そのことに一切囚われてないので勝手に湧いて勝手に消えていく=悩みがない。不安もなくなる。

超感覚

又、そのような状態になると周囲にいる人の気持ちに部分的にアクセスできるようになったかのような?超感覚みたいなの?意識をそこにあわせたら~なんですが、起こってます。(あまり他人に意識をアクセスしたいと思わないですが)

普段みんなも無意識にやってる、空気を読んだりするのの拡大版みたいなの?!

先日仕事中に、ものすごいウルトラ大失態をした人がいて、その人の顔面蒼白具合を見た瞬間、私の意識がそこに共鳴しその人の悲壮感と一体化してしまったかのようになり「あ~~~わたしを助けなきゃ」と彼女に向かって思い、

「大丈夫、そんなの気にしなくていいよ」と言ったら皆も「そうだそうだ、気にしてなくていいよ」という流れになり、なんか全体が一気にいい雰囲気になったのです。

一人だけブスっと不満げにしてた人がいましたが、この雰囲気で文句を言えるはずもなく。

もう一人、傍観者もいました。この傍観者をしていた人は、大失態をした人と一緒にその場にいた人で、唯一「それ、ちがうよ」と助言をしてあげれる立場にいた先輩だったのに、完全スルーしたのでした・・

何故教えてあげなかったのかな?汗

この大失態をした女性は、明晰夢が見れる人でもありました。

そう言えば、昔私も大失態をしたことがありましたが、上司に同じように助けられて「自分は恐ろしくあり得ない失態をしでかしたというのに、こんなにも受け入れてもらえている」という、自己肯定感が強く上がる状態になり本当に嬉しかった。

そうだ、あの時私は助けてもらったから、同じようなことをして今度は私が違う人を助けるひと声を真っ先にあげた、ただそれだけだわ。

ただこのことが勝手に起こっただけだった。私がやったのではなく、勝手に起こったのであります。

何を言ってるのか意味不明かもしれませんね、すみません。

これからも明晰夢について、わたしの同世代以下の人に聞いていこうと思ってますが、早々いろんな人に会うこともないので、その機会はいつ訪れるか不明です。

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