「私とは何か?」についての本質がわかりやすかったので以下に引用する。これはアメリカの本なので「神」という表現が多発するが、「神=真我=本当の本質の自分」と置き換えると日本人にはすんなり入ってくると思う。「神=神の分け御霊である本質の自分」である。
結構ウルトラパンチ的な本の内容になっていて、唸ってしまった。
尚、引用文で太字になっているところは個人的に気に入った、重要と思った部分である。
私とは何か 1989年2月19日 ニューメキシコ州アルバカーキにて
あなたはいったい何なのでしょうか。今日はその質問に答えたいと思います。私の言う事を聞いてそれを信じることが出来る人にとっては、旅はほとんど終わりに近づいています。
あなたは純粋な目覚めた意識です。これがあなたの本質です。それ以外は全て神からの分離を信じる考え方の現れです。それ以外の定義は全て、ものには始まりと終わりがあるという考え方にあなたを縛りつけるものです。それ以外の定義を信じると、そこから生まれた人間観や世界観にしたがって、人はこの地球の二極性を形成するプラスとマイナスの両極の間を情け容赦なく言ったり来たりさせられることになります。
人は無限の存在だと私は言いました。すべての偉大な覚醒者は繰り返し、限界というものは存在しないと述べます。あなたに限界を設けたのはあなた自身です。限界は狭い心から生まれ、神から分離した意識が生み出します。限界には始まりと終わりがあります。始まりや終わりがあるものはどれもあなたの本質ではありません。
確かに人間が今この地球界にいるのは、一時的に神との分離意識を現象化するためです。ところが人は神からの分離という幻想に支配される思考の世界にはまり込んでしまい、そこから抜け出せなくなっています。
あなたの中や周りで起こっている唯一の事、この地球全体を通して起こっている唯一のこと、この創造界のあらゆるものに起こっている唯一のこと、それは「エネルギーの動き」です。それだけなのです!
一瞬立ち止まって自分の考えていることを観察してみると、自分の狭い心のつまらなさに行き当たります。分離意識の中で生きていくためには大部分の時間自分が何を考えているかにまったく気づかないでいる必要があります。
家を出て、目的地と反対方向のスーパーにいる自分を発見したりすることがあるでしょう。人と話している最中に話を一旦止めて、自分が今何を言ったか考えてごらんなさい。大抵の人は思い出せません。
“思考には永続性が無い。そのほとんどはつまらないものだ“と知っているので自分の思考の中に意識がないのです。ここで私はアインシュタインが提起したような偉大な理論もつまらないものだとあえて言っているのでしょうか。そう、自分の本質を感じる事に比べたらどんな偉大な思想も全てつまらないものです。
あなたがたは絶え間なく他人や自分をあれこれ批判したり裁いたりするという、つまらない思考パターンに囚われています。この絶え間ない価値判断は果てしなく続き、他人に比べて自分はどうか、常に何らかの評価をくだそうとしています。ですからこのつまらない思考の産物が限りなく生まれては消えるのが生きることの全てだとしたら、このまま生きていく価値は無いのではないかと感じて、人はイライラするのです。
そう気がつくとまるで牢獄に閉じ込められたような気がしてきます。このような見方と「あなたは無限の存在だ」という言葉とを、どのように両立させることができるでしょうか。
あなた方に唯一の解決策を教えることはできません。道は沢山あるからです。何にも増して、自分を制限するものから自由になりたいという想いに心を激しく燃やすことのできる道が見つかったら、どうか全力を傾けてその道を進んでください。自由への道は人間の数だけあります。人が生きて来た道はそれぞれですし、意識はそれぞれ独自の人生経験を持っています。全ての人は自分がどこへ行こうとしているのかちゃんと知っています。
私見
上記の文を読むと、SNS(特にツイッター)も思考のゴミにしか見えなくなってしまった。しかも自分の思考のゴミではなく、全然知らない人の思考のゴミ(^^)。
中には有益な情報もあるし、そこでの会話も楽しいのだけれど。
いやしかし?極端な事を言えば、自分の外側で起こっている垂れ流しのスクリーン映画について、他人のスクリーンの分まで私が知る必要はない。何故ならそれは心の静寂の邪魔にしかならないから。昔のように、目に見える範囲の近くの人達との関わりだけでも、いろいろ察知する能力があれば危険なものは避けられる。危険なものも、早々ないように思うけれど。
私とはこの身体でもこの思考でもない、五感で感じとる全てのものも私ではない、と聞いたら普通の人は信じないだろう。正しくは「思考に囚われた人間の後ろにいるもうひとつの真我の私」ではない、という意味だが。
それほどまでに人間はこの物質世界に没入してしまっている。更にこの先の未来はインターネットの仮想世界(VRとか)に没入していく人達も登場し、入れ子の入れ子状態の偽物世界に入り込み、彷徨い続ける人達も出てくるだろう。今私達がネットの仮想世界は本物の世界ではないとわかっていても、100年後の人類は「これこそ真実だ」と考えているかもしれない。幼少期からVRに繋がれてしまえば、その世界が本物になる。
私達も赤ちゃんのころは純粋意識だけだったのに、鏡を見たり、人が話しかけることで、「私」という自我が芽生え、とめどなく湧きあがる複雑な思考世界に閉じ込められ、この世界だけが本物なのだ、とずっと錯覚しているように。。。
しかしこの世には遥か昔から「本当のわたし・純粋意識・真我」を探し求める人達も居て、それを体感し輪廻転生の輪から抜け出す人達がいる。どんなにこの世のお金を積んでも、どんなに素晴らしい功績や名誉を得ても、その喜びは永久不滅ではなく、ほんのわずかな儚い期間だけのもの。すぐ誰かに奪われ塗り替えられる、又、奪われる恐怖と共に生きていく。そして肉体を失ったら全て失う。
しかし本当の私、真我を体感しそれが永続している人たちはもうそんな儚い競争や下らない名誉に翻弄されることなく、永久不滅の至福の中で存在し続ける。肉体を失ってもそれは消える事が無い。誰にも奪えないもの。(そもそも誰にも、という概念もない。真我では他人は居なく、全ては一体なのだから)。
それに魅了されるまだ未経験の人達は、この世の物質的なものに多少魅力を感じたとしてもけして依存したり虜になったりしないのではないか。。生きていくには最低限の衣食住は必要だが、足るを知るがわかっている。際限のないもっともっとという思いは少しづつ消えていき、もっとすごい「真我」を知ることへの憧れ。。いや、もうすでに私達は全員真我を持っているわけだ。ただ思い出せないし忘れてるし、わからないだけ。もう持ってる。
真我を見つけた人達は、ほんの一瞬で終わった人もいれば、数回起こる人もいれば、一生消えない真我の中に生き続ける聖者もいる。一生消えない真我の中に生き続けた人の本を読むと、偽物を容易に判別できる。そのことについてはマクドナルドベイン氏の本だが、今図書館で取り寄せ中。
気が向いたら書くかも?
とにもかくにも、左脳のやかましいおしゃべりを止め、心の静寂を持つことが最初の一歩である。今に関係のない、あれやこれや誰かのことや、そのような思考をめぐらすことをやめれば、たちまち今の世界のままで至福の日常を持つことができる。
そして多くの人がこのような状態になれば、この世から戦争というものが無くなるでしょう。
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