夢の世界は異次元で、身体が無い(明晰夢では身体はある)

精神世界
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Candyです。

先日(1/28)にこのBlogシステム(ワードプレス)を破壊してしまい、MySQLを削除して再インストールする目に遭った。「いろいろ変え時だよ…」というイメージが強く湧きあがり、今回の個人的なちょっとした惨事をきっかけにブログ趣旨を変えてみたいと思う。言葉は今後、ですます調をやめることにしたい。

さて、、、

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夢で身体がないとは?

毎日のように夢を見るのだが、夢ってどこの次元に行ってるんだろうか。普通の夢が多いが、時々明晰夢になる。

普通の夢

昨日の夢も相変わらずハチャメチャな設定だった。私はわりと頻繁に夢を見るが、いつも起床と同時にすっかり忘れてしまうのに昨日の夢は覚えている。昔住んでいた新神戸のマンションが出てきて、現実では有り得ない設定の友人が夢に登場しているのに、何の違和感もなく久しぶり!なんて言って夢が次々展開していく。懐かしい友人や当時のバンドマン仲間も出てきたが、なぜか私も皆も年齢がすごく若くて、20代前半。

細かい内容はさておき。

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夢の世界は異次元、簡単に時空間をワープしている

夢の世界とは、この現実の三次元とは違う次元に行ってると言われるが、確かにそうだなと思う。こんな風に時間の概念も無茶苦茶で、夢の世界に時間は無いと思える。私は遥か昔の時代にワープしていたようだが、その時代には居るはずのない友人が登場している。

これはアカシックレコードみたいな記憶の貯蔵庫にある中から、今の私の意識整理に必要な題材を自動的にチョイスし、夢の世界を体験しているのかなと思う。宇宙には時間はないので、私が過去だと思っている想い出もアカシックレコードには時間の概念がなく全て「今」として記憶されている。

人は夢を軽視しがちだが、考えてみると非常に興味深い世界だと思う。この世の次元構造(多次元宇宙)を考えると、夢の中というのは非常に重要で唯一誰もが体験できている異次元世界。

普通の夢では自分の身体が無いのに、自分がいるつもりで夢の世界(思考)が展開されている

普通の夢のとき、皆さんは自分の身体があることを確認したことはあるだろうか。

私は昨日、起床後に夢の中では自分の身体が無かったことに気づき、驚いてしまった。何故今まで気づかなかったのだろう?

実際は下を向けばみんな自分の身体を見ることができる。下を見なくても身体があることは目の端から見えるし両手など手を前に出せば嫌でも視界に入る。しかし夢の中では見ることができないというよりは、全く見てない。昨日の夢の中では自分の身体の感覚は20代当時の身軽さを感覚で感じていたのに、でも見てないのだ。見えてない、とも言える。

私の夢の中では自分という姿は無い。当たり前だが夢の中なので物質の身体はない。物質の身体は布団の中いる。意識体だけの存在か、想念で夢を描いているのだろうけど、なぜ自分の身体だけないのだろう?

まるでVRゴーグルをはめてバーチャルな立体映像を体験している、あの感じにも思える。VRゴーグルを体験したことがないので何とも言えないが、あれはうつむけば自分の身体が見えるのだろうか?(見えそうな気がする…)

何はともあれ今後も身体があるのかないのかを検証したいと思っている。しかし普通の夢は全く操作ができないので、夢の中で「身体があるか確認するために下を見てみよう」と思うことすらまずかなり難しい。起きてから、「あ、身体無かったなぁ(身体を見なかったなぁ)」と思い返すくらいが関の山。

今までを思い返しても、夢の中で自分の手や足があったのを見たことがないと言える。ただとめどなく流れる操作不能なリアル映像を、自分がいるつもりになって体験している、そんな感じ。

明晰夢では身体は確実にある

明晰夢というのは、夢の中で夢だと認識出来ている状態の事をいうが、私は子供の頃から時々明晰夢状態になる。

明晰夢になるときは夢の途中で違和感に気づくことが出来、「あれ?夢かな?←(これが気づける合図)」と思って身体や顔をつねったり、腕を叩いたりする。そこには確実に目に見える胴体や手足があり、どこを叩いても全く痛くないのを確認し、これは明晰夢だ、とわかる。よって首から下の身体は見えている。

操作不能な普通の夢では自分の身体が無いのに、夢を自由に操作できる明晰夢状態になると自分の身体を突然認識できるようになる。

今思うと明晰夢の時は現実世界に似てて、自分の顔は無いが身体は見る事ができる。空も飛べるし夢を自由に操作できる。(壁通過はできなかった。壁に激突したが痛みは全くなかった)。

今回は「普通の夢を見ている時に、自分の身体を映像として全く認識していない」ということを書いてみたが、皆さんは如何だろうか。

起床時、自分には顔が無い

実は1か月ほど前から、リアルに起床している時に自分には顔がない、ということを改めて考えるようになり、いやそんなの当たり前じゃん?顔は鏡で見るものでしょ?、、という、そうゆう視点の話ではなく、自分の目で身体に乗っかっている顔、頭部分だけ見ることができない・・という事を考え続けている。

どうして顔がないことに今まで全く気付かなかったのか。そしたら今度は夢の中では顔どころか身体もないじゃないかぁァ~となって、だいぶ頭の中がおかしなことになっている。

鏡を使わず、自分の眼で直接自分の顔を見る、そんなことは誰もできない。なんとなくぼやけた鼻の一部分は見えるが正面から見ることは不可能。当たり前すぎて何言ってるの?となるので気づきにくいが、これは凄く重要なことで、このことを突き詰めていくと生きながらにしてこの仮想現実から脱出できるのではないか?死ねばこの世(三次元世界)は脱出できるのだが、生きながらにして脱出できるのだとしたら。

鏡の中に写る自分は客体であり、主体ではない。人から見られている顔、ということになる。

リアルに起床している時に顔がない、というのはそのうちまた書いていこうと思う。

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精神ぷらりたび(前題:海外ぷらりたび)

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