シュタイナー|7歳までは夢の中、ということについて

昔の話
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シュタイナーの本では、7歳までは夢の中で生きているような感じと書いてある(多少個人差あり)。

うちの可愛いチビを見ててアッ!と思った。確かに7歳までは頭の中で思いついたことをそのまま無防備に喋っていた。なのでいつも何か喋っている状態。静かだなと思ったら寝ている、、、

それが8歳を皮切りにこのお喋りが減り、家の中で一人で遊んでいる時も楽しそうに(無言で)遊んでいるのだ。そうか、成長したんだね、、と少し寂しくもあり、嬉しくもあり。

これが、1つの自我の確立というやつか。。

最初、7歳までは夢の中というシュタイナーの発言が何のことかよくわからなかったが、チビを見てて理解した。すると自分の幼少期のことも思い出されてきて。

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自分の場合

私が7歳のころ、小学1年生。確かに夢の中だった。笑ってしまうほどに。

入学式の時はまだ6歳だったが、今でも忘れない。初めて教室に入り、当時は1クラスに43人くらい生徒が居て、担任の先生が「皆さん、机に名前が書いてあるので自分の名前の席を探して座ってください~」。

みんな一斉にわ~~~~!って自分の名前を探し出し、私は若干出遅れて「ああ、名前を探すのね?」と。しかしいつまでも席を発見できずな迷い子が残り2~3人になってもまだ私は自分の名前を見つける事ができなかった。みんなもう自分の席に座っている。その全視線がジーーーーっ・・・

汗。

やや半泣きになりそうな状況だったが、先生が「一緒に探そうね?」と言ってくれて、やっと自分の席を見つけた時の安堵感。そう、私はまだ夢の中だった。他の子達もまだ夢の中のはずなのに、みんな凄かった。

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1学期が終わり、通知表を貰う

皆さんは最初に貰った通知表が何を意味するものかわかっていただろうか?私はさっぱりわかっておらず、何この紙~?フーンって状態。

家に帰ると母親が、私のランドセルから通知表を抜き出し、何やら批評を始めた。特に怒られはしなかったが、その時初めて「えぇぇっ!これは私を評価するものだったの?」と心底驚いたのを覚えている。この恐ろしい紙は、私の学校生活を評価するものであり、体育が全くできないこともバレてしまった(いや、親はそんなこと知ってるだろうけど)。

2学期からもまだぼや~っと生きていて、何故毎日学校に行くのかよくわかってなかった。近所のおばさんに話しかけられると母親の後ろに隠れてしまうような子でもあり、親はかなり心配したようで頻繁に学校に見に来ていて(昔は出入り自由だった)近所の子達に私と仲良くしてあげてね、と常に言いまわっていた。PTAも率先して参加し、母親達との連携で私がはみごにならないよう熱心に網を張ってくれていた。

突然変わったのはやはり8歳になってすぐだった。

2年生。4月生まれなのですぐ8歳になった。引っ込み思案で大人しくてもじもじしている、という私が180度変わっていきなり活発になり、仲良しのお友達もでき、親友と呼べるような友人が出来、2年生から転入してきた子と親しくなり、毎日が楽しくなっていった。

というわけで、7歳までは夢の中(ぼーっと生きている)というのは確かにそうだったな、と思うのである。

私が8歳で突然変わったのはお友達の影響だった。

7~8歳、この辺で子供はぐっと変わるのだろうネ。

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大人しい子が芯のある子に

小学3年~4年生の時の担任の先生は、定年間近の女のベテラン先生だった。保護者から人気が高く、よほど良い先生だったのだろう。その時の通知表に「まっすぐ芯が1本通ったしっかりした子です」というようなことが書かれており、「芯って何?鉛筆の芯とは違うやんなぁ?」と馬鹿なことを思っていた。

芯ってなにー?と何度も親に聞いたけど、自分がしっかりした子だと言われて「そうか、誉められたのかな?」と。そして大人しい子が、やかましい子に変貌していった・・

7歳までの、自我の薄い時代はとっても大事なのだネ。

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精神ぷらりたび(前題:海外ぷらりたび)

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