横になりながら読書していると頻繁に起こること、クリシュナムルティの「私は何も信じない」冒頭

精神世界
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精神世界に興味ない人には本当にどうでもいい話であるが。。

私が横になりながら読書していると頻繁に起こることは「寝落ちしてしまう」こと。この寝落ちまでは誰しも経験あろう。

しかし私の場合は、そこで見る夢が毎回同じパターン。

読む本はクリシュナムルティやシュタイナー等、精神世界や、又は量子力学の本の時にそうなる。(これらに無関係の本の時は寝落ちしても夢は見ない)

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過程

  1. ベッドに横になる
  2. 本を読む
  3. 少し難しい内容が出てきたので本を置き、目を閉じて本の内容を反芻する
  4. ほんの2~3分程度で眠りに落ちてしまう(のび太くん状態)
  5. すると、夢の中が「現実と全く同じ状態で再現され、本の続きを読んでいる状態」となる。読んでいる箇所も実際今の今まで読んでいたところの、ぴったり続きから読み始める。うたた寝なので、4~5行読み進めたところで目が開き、自分が寝ていた事に気づく。

今までは、毎回夢の中で起こる事として、本の続きを読んでいるがその内容はあまり関連性のない内容だった。本の続きを自分で勝手に創作しているのか、誰かが創作しているのか?と言った印象だった。

しかしたった今起こったことは、本の内容は違うものの、関連性のある内容であった(かなり驚いた)

先に答えを書いておくと

偉大な作家のものは無名で発表すべきだという本の内容にたいして、私が見た夢は「作家無名の本、花咲か爺さん」笑・・・

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クリシュナムルティ「私は何も信じない」

今夜はクリシュナムルティの「私は何も信じない」という対談本の冒頭”霊性と創造 レオポンド・ストコフスキーとの対話”を読んでいた。

ジッドゥ・クリシュナムルティ
インド生まれの宗教的哲人、精神教師、教育者、神秘家、ヨーギー、精神世界の著作家。すべての物事が時間的にも空間的にも互いの条件付けによって成り立つと考え、人は組織、信条、教義、聖職者、儀式等によって真理に到達することはできず、ただ自己認識によってのみ真理を見出すことができると説いた。

レオポンド・ストコフスキー
20世紀における個性的な指揮者の一人で「音の魔術師」の異名を持つ。イギリスのロンドンに生まれ、主にアメリカで活動した。

本から少し引用する

ストコフスキー:芸術、特に音楽は極度に非物質的な霊(スピリット)の側面があるという考え。霊感はほとんどメロディー、リズムのようなもの。かねがね芸術は無名であるべきだと思っている。詩、ドラマ、絵あるいは交響曲はその創造者の表現だろうか、想像力の流れの媒介だろうか?

クリシュナムルティ:霊感(インスピレーション)は私の考えでは、英知を情熱的に覚醒させ続けること。
霊感は英知。英知なき存在は、言葉の最高の意味では霊感を吹き込まれないであろう。(視聴者が)英知を探求している者だった場合、美しい音楽を聴いたり詩を朗吟するのを聞いて霊感を感じるであろう。利口な人間は必ずしも英知の持ち主ではない…直感は最高の英知。この英知を活発にさせ続けるのが霊感。たえず問い続ける子供のように。

芸術を無名で出すべきでは?というストコフスキーの話に、クリシュナムルティも同じ考えであったと言っている。

音楽家のストコフスキー、当時詩を書いていたクリシュナムルティ。二人とも、自分が書いた作品を自分で書いたという認識が薄く、他人が書いたのではないか?と自問するという。他人というのは、自分ではないスピリットが天から降ろしてきた、みたいなイメージ。

クリシュナムルティは、詩人、劇作家、音楽家といった全ての芸術家は無名であるべき、自分のいっさいの創造物に対して無頓着であるべきだと言う。これが最も最大の真理だと。

最大の真理とまで言っている!!!

世界の偉大な芸術家たちは、自分たちの作品によって視聴者が直感する人生に役立つのであれば、視聴者の英知は永久に開かれる。どうか私を崇拝しないでほしい、結局私は無関係なのだから・・そのように偉大な人達は言ってると。(本当に偉大な人はこの事を理解しているということ)

クリシュナムルティ:しかしほとんどの芸術家は自分の作品の下に署名をしたがります。賞賛されたがるのです。彼らは称号や肩書を望むのです(P.7)

ここまで読んで凄い会話だ・・・と茫然となってしまった。す、すこし本を置いて目を閉じて考えたい。。

でも確かにわかる。(偉大ではないなら別だが)本当に偉大な芸術家ならば直感(インスピレーション)を降ろして作品を作っているので本人にも「自分が作ったのかしら?」と思うほどの、世界中の人に影響を与えるような作品が出来上がっており、、、

人間の作者は直感の媒体者であって、その作品をこの世に降ろした本当の場所は「天」となる。天という表現が合ってるかわからないが?アカシックレコードでも同じ意味かな、ひとまずそう書いておく。

まだ本の7ページ目なので本を読みだしてから数分しかたってないのだが、目を閉じ深く考え~てるうちに寝落ち。

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さきほどの「過程」5番目:夢の中

夢の中で本の続きを読んでいる。(明晰夢ではなく、普通の夢)

本の続きは最初に書いたが、「花咲か爺さん」。

花咲か爺さんを読みながらなるほどな、「心の良いお爺さんが枯れ木に灰を撒いたら桜の花が満開に咲き、お殿様に喜んでもらえた」といとうお話は日本で語り継がれている偉大な作品であり、これは無名であるべきもの。

花咲か爺さんの昔話、検索してみたら作者不明であった。(無名というところが共通点)。
昔話だし作者不明なのは当たり前?
いやいや、そうゆうことではなく。
現代まで残って語り継がれている昔話には深い意味があり、言霊に通ずる。


という訳で、今までは「読書中に寝落ちし、夢の中で続きを読む」というのは頻繁に起こっていたが、今日は「関連した内容の夢だった」ということで自分の為に、忘れないよう書き記しておきたい。

本人以外にはこんなのどうでもいい話だろうが、もしかしたら同じ体験をしている人もいらっしゃるのでは。。

そしてこの先も、読んでる本に関連する夢を見ることが出来るようインスピレーションが進化していけば、夢からのメッセージが異様に重要になってくると思う。注意深く興味を持ってやっていけば、誰でもできることでもある。

以前、シュタイナーの霊的睡眠の記事で書いたが、睡眠中はあの世に行ってるのと同じ状態。

あの世=本当の世界。
この世はその幻影(量子力学)。
あの世で再現される夢は重要。でも意味不明な夢が多いんだけど~。

精神世界の本で寝落ちするのは、私は本が瞑想状態になっていると考えている。

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